1987-05-21 第108回国会 衆議院 建設委員会 第4号
これは、そのときの衆議院建設委員会の委員長が木村武雄先生、まだ国土庁はなくて、土地問題に対する所管は経済企画庁長官の内田常雄先生、そういう中で十分論議されて、別に念書の中身をどうこうというふうに言うつもりはございません。そのつくった経過並びにそのときの経済状況なり、そういう中でこういうものがつくられてきた。
これは、そのときの衆議院建設委員会の委員長が木村武雄先生、まだ国土庁はなくて、土地問題に対する所管は経済企画庁長官の内田常雄先生、そういう中で十分論議されて、別に念書の中身をどうこうというふうに言うつもりはございません。そのつくった経過並びにそのときの経済状況なり、そういう中でこういうものがつくられてきた。
○渡辺三郎君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員木村武雄先生は、昨年十一月二十六日逝去されました。 戦前戦後を通じ憲政の正道を追い求め、半世紀にわたってきっすいの政党政治家として御活躍された先生が、御家族皆様の手厚い御看護の中で静かにこの世を去られたのであります。いかに天命とは申せ、まことに痛恨哀惜の念にたえません。
当時、北海道開発庁長官でございました木村武雄先生が相当努力をいたしまして、この種の政府関係機関とか民間のあっせん等に奔走いただきました経緯がありますが、高齢者の就職の問題になりますとなかなか思うに任せず、ほとんど就職ができなかったり、きわめて劣悪な条件で就職しなければならなかったのが主に高齢者に集中したと記憶をいたしておるところでございます。
最近では自民党の木村武雄先生が相当大きなけがをなされたということでございますが、恐らくあの発生の状況から見て、私はシートベルトはしていらっしゃらなかったのじゃないか、こう考えるわけですがね。もし、あれがシートベルトをされておるならば、あるいはもっと軽微なあれで当然済んだはずでございます。たまたま下平先生の交通事故については相手方がシートベルトをしておった。